院長の生島です。はじめてホームページをご覧になっていただいた方のために、自己紹介をさせていただきます。
■「人のためになることしいや」
私は、1998年に大阪大学医学部を卒業しました。その後、大阪大学医学部附属病院、桜橋渡辺病院、東宝塚さとう病院などで臨床に従事し、2016年にこの場所で、いくしま内科クリニックを開業しました。
1973年、私は2人兄弟の長男として、大阪に生まれました。父は一般企業に勤めるサラリーマンで、私の身内に医者はおりませんでした。
それでも、子どもの頃から、「将来は医者になりたいなぁ」と、自然と思うようになっていました。何か大きなきっかけがあったわけではありません。ただ、両親から「人のためになることしいや」とよく言われており、子どもながらに、人のためになる、人の役に立つ職業と考えたときに、医者が思い浮かんだのだと思います。
当時から「研究の京都大学・臨床の大阪大学」と言われていたこともあり、臨床がやりたかった私は高校3年生の時に大阪大学医学部を目指すことを決め、無事に合格し入学しました。
■知識がなければ助けることができない
1998年に大阪大学医学部を卒業するわけですが、大学で勉強をしていた時から桜橋渡辺病院に行きたいと強く思っていました。桜橋渡辺病院は大阪梅田にある心臓の専門病院です。先輩から話を聞いて自分なりに調べると、とても評判が良い病院でした。卒業後は希望通り、桜橋渡辺病院に勤務することになりました。
私自身、それまで、医者になるための勉強はずっと頑張ってきたつもりでしたが、桜橋渡辺病院で、これまで以上に勉強が必要なのだということに気づかされました。私の医者としての基礎はそこで築かれたのだと思っています。
今でもよく覚えているのですが、入った初日、心臓外科の副院長から言われました。「おまえたち、英語の論文くらい毎日読め」と。
また当時内科の部長をされていた(現在は岡山大学病院 循環器内科教授)のは伊藤浩先生という方でした。その方は阪大医学部をトップで卒業された方で、当時、直属の上司でもあったのですが、その伊藤先生こそが、絶えず勉強をされる方でした。もちろん私が勉強をしないという選択肢は、当然ながらありませんでした。
ちなみに、勉強というのは、新しい治療法、新しい実験データ、大規模な臨床データなどを知識として頭に入れ続けることです。10年も経てば治療法は変わりますし新薬も次々に出てきます。なので、辞書を覚えるかのごとく、勉強をし続けるのです。
なぜ、そこまで勉強をし続ける必要があるのか。
それは、知識がなければ助けることができないからです。知識がなく、その病気を知らなければ、見落としてしまいます。それは医療ミスです。患者さんとの会話の中で出てきたキーワード、それを聞いたとき、「もしかしたら、こういう病気があるかもしれない」と想像できるかどうか。そこは知識の有無にかかっています。
■母が入院から2週間で・・・
実は、私には苦い思い出があります。
私の母は、私が医者になって3年が経った頃に亡くなってしまいました。呼吸器疾患の間質性肺炎という病気だったのですが、当時28歳だった私は残念ながら呼吸器疾患に関する知識がまだまだ乏しい状態でした。
「ちょっとしんどい」と言った母は、家の近くの大きな病院に入院しました。今の私なら、呼吸器疾患に詳しい病院を教えることができます。ですが、その当時の私にはそこまで知識や情報がありませんでした。母はそこからわずか2週間で亡くなってしまったのです。
当時の私は、循環器内科分野専門の勉強をしていました、けれどもこれをきっかけに、内科全般の知識を得る重要さに気づきました。
それ以来、専門外のことも幅広く知識として得られるように、今もなお新しいガイドラインが出れば目を通し、講演会があれば可能な限り聞きに行きと、絶えず勉強を続けています。
■手術ではなく、外来の道へ
桜橋渡辺病院の次は、循環器専門の東宝塚さとう病院で、心筋梗塞を治療するカテーテル手術を担当していました。
「心臓専門の病院」といわれる東宝塚さとう病院は、近畿でも手術の件数がトップクラスの病院でした。私は6年間のあいだ、カテーテル手術を年間100~200件担当しておりました。そのときの経験はいまでもとても役に立っています。
また外来診療も週2回、3時間ずつありました。
医者として、このまま手術の道で行くのか、それとも外来の道で行くのか考えたときに、私は外来の方が好きでしたので後者の道でいこうと決めました。
もともと私には、一人の患者さんを「ゆりかごから墓場まで」とまでは言えませんが、できるだけ長く診たいという気持ちが強くありました。
病院に勤務しながらの外来ですと、開業医とは違い、同じ患者さんをずっと診るということがなかなかできません。そこで、「患者さんを長く診ることができる」クリニックを開業することを決断しました。それが、2016年のことです。
■患者さんが、ご家族やご友人を・・・
ただ、開業に対して大きな不安もありました。実際に患者さんは来てくれるのだろうか?という不安です。大きな病院と違い、場所も不便になります。検査などの機器も少なくなります。
ですが、実際に開業をしてみると、それは杞憂に終わりました。かつて勤めていた病院、バイトしていたクリニックで診させていただいた患者さんたちが、100名近く次々と来てくださったのです。
中には、桜橋渡辺病院のときから20年近く診させていただいている方もおられます。遠いところから来ていただいて、本当に有り難く思いました。
また開業から1~2カ月すると、地域の方にもこのクリニックの存在を知っていただけました。一度診させていただいた患者さんが、ご家族やご友人など、身近な方や、大切な方をご紹介してくださり少しずつ患者さんが増えていきました。
私の趣味は走ることで、休みの日は伊丹市内を走っています。今では、必ずと言っていいほど、どこかしらで患者さんに出会います。スーパーに買い物に行ってもまたしかり。2016年に開業してから、だいぶ地域に根ざすことができてきているのかなぁと思っているところです。
■伊丹の地でかかりつけ医を目指し
最後に、私は今のこの仕事が天職だと思っています。医者をやってきて、今が一番楽しいです。
病院勤務の時とは違い、患者さんをずっと診ることができ、その経過を追え、良くなっていく姿を見ることができ、「ありがとう」と言っていただける。本当にやりがいと励みになりますし、こんな有り難い仕事は、他にないと思っています。病院勤務時代は循環器専門でしたが、現在は内科全般、プライマリ・ケアと言われる総合医の役割を担い、スムーズに病気を早期に発見できたという事例も増えてきており大きなやりがいを感じております。
ちなみに、私が考える理想の開業医像は、地域のかかりつけ医です。
地域の小さいお子さんから、お兄ちゃんお姉ちゃん、お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんまで、3世代、4世代に渡って診させていただき、状況におうじて訪問診療やお看取りもするかかりつけ医です。
そのことが体現できている離島の医者、へき地の医者の姿には、私自身、今とても憧れを持ち、ここ伊丹という地で、それが実現できればと思っております。
ここ伊丹で、かかりつけ医を探されている方、一度、気軽にお越しいただければと思います。循環器疾患で困っている方にも、きっとお役に立てると思います。心からお待ちしております。
いくしま内科クリニック
院長 生島 雅士
昭和48年生まれ 大阪府出身 | |
平成10年 大阪大学医学部卒業 | |
平成18年 大阪大学大学院医学系研究科博士課程(加齢医学)卒業 | |
大阪大学医学部附属病院、桜橋渡辺病院、東宝塚さとう病院等で臨床に従事 |
スタッフ一同いつでも笑顔を絶やさずに、皆様のご来院をお待ちしております。 |
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